Date: 2013年06月27日

NPO法人循環型社会研究会「2013年度 循環ワーカー養成講座」にて岩浅准教授が講演

 2013年6月27日、NPO法人循環型社会研究会主催の「2013年度 循環ワーカー養成講座」にて、当講座の岩浅昌幸准教授が「人間の安全保障とヒューメインシティー」と題した講演を行いました。

2013年度 循環ワーカー養成講座「人間の安全保障」
NPO法人循環型社会研究会

2013年度循環型ワーカー養成講座 人間の安全保障 エココミュニティ・ジャパン











講演録(PDF版はこちら)

講師:岩浅 昌幸(筑波大学 准教授)
日時:2013 年6月27日(木)18:30~20:30
会場:ノルドスペース セミナールーム(東京都中央区京橋1-9-10 フォレストタワー8F)

はじめに

私は大学院では比較憲法学をやっていましてアメリカ憲法の判例解釈や憲法制定前史の研究をしていたのですが、その後、資料収集のためロード・アイランドや西海岸のサンディエゴに行き客員研究員としてヒューマンサイエンスをかじってきました。戻ってきてからは実務の世界に10 年ほどいましたが、4年前から筑波大学で「人間の安全保障」という講座を開き、今年からは大学の外でも人間の安全保障(ヒューマン・セキュリティ)の普及活動をしています。

「人間の安全保障」とは、聞き慣れない表現かと思います。昨今、前政権から現政権にかけて突発的にこの言葉が使われましたが、意味が明確にされないまま流布しているようです。今回は3回の講座のうち初回ですので、「人間の安全保障」とはどういったところから生まれてきたのかという原理をまず捉えて頂けたらと思っています。

「人間の安全保障」という概念

本来、「人間の安全保障」は、もっぱら途上国や紛争国を対象にした概念でした。日本でこの言葉を持ち出しても、いったいどういう問題があるかピンと来ないかもしれません。
基本的には、都会でも田舎でも餓死する人はいない。もしくは、迫害され隠れる場所もなく逃げ回らなくてはならないということが、この日本という法治国家ではごく稀な、猟奇的な事件を除けばないと言っていいでしょう。一方ボスニア・ヘルツェゴビナなど、民族浄化の虐殺が行われてきたような地域では、まさに人間の生命が危ぶまれていたわけですね。

私が共編で昨年出版致しました『〈人間の安全保障〉の諸政策』は、新しい試みです。難民高等弁務官で「人間の安全保障」の活動をしてこられた緒方貞子さんが、この本の帯に言葉を寄せてくださいましたが、1994年、UNDPという国連機関が初めて世界に打ち出した「人間の安全保障」は、飢餓に悩まされるような国や紛争国の人々を想定したものでした。もともとはインド出身のノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センが、論文の中で初めて取り上げた概念でした。「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」が、「人間の安全保障」の2つの定義となります。まさにそれらが脅かされている国や、あるいは国の体を成していない場所にいる人々の安寧をどう保障するかが、テーマとなっていました。

私たちの「新しい試み」は、これがもはや途上国や紛争国だけの問題ではなくなってきたために始まったものです。バブル期以降の日本の状況においては、餓死する人こそいなくても、まさに人間の安寧が損なわれてきたのではないかと。そしてリーマン・ショックやサブプライム・ショックがあって、いっそう極端にひどくなった。そして追い打ちをかけるように東日本大震災が起こり、人間の安全保障が損なわれる実態をまざまざと見せつけられたわけです。

「人間の安全保障」では、経済的な問題のみならず自然災害やエネルギー、食糧、社会保障の問題すべてが関わってきます。つまり人間を中心としたときに、360度のあらゆる面において人間の安寧を脅かしうる状況をどう解決するかが、まさに「人間の安全保障」のテーマなのですね。しかし近年は途上国や紛争国ばかりでなく、経済的に豊かとされる日本やアメリカ、西ヨーロッパの国ですら、これが喫緊の課題となってきた。そういう時代に突入したわけです。

従来、他大学で行われていた「人間の安全保障」の研究は、基本的には途上国対象のエリアスタディ的色彩が強かったのですが、筑波大学での「新しい試み」では、日本をはじめ先進国の人々の安寧がどこにあるのかということも関心事項となっています。私も3.11が起こるまでは、途上国のエネルギー安全保障を対象に、JICAなどと一緒になってネパールやフィリピン、ラオス、カンボジア、ベトナムなどの国々で小水力発電の普及活動に関わってきました。しかし2年前に大震災が起こり、「いまは、我が国の安全保障をまずやらなければならない」と、考えた次第です。

「人間の安全保障」はまったくの新しい概念ではありません。既に1941年、今から70年以上前に、ルーズベルトとチャーチルが連名で発表した「大西洋憲章」の中では「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」が表明されています。全体主義国家とされていたナチス・ドイツや日本と戦うにあたってこれを正当化の理由として掲げていたわけです。国際連合も、もともとは人間の安全、安寧を保障しようという理念から設立されているのですね。ヒューマン・セキュリティという新しい理論構成となって現れたのは1994年の『人間開発報告書』においてだったのですが、その底流には第二次世界大戦後の世界秩序の中で打ち出された概念があるわけです。

「人間の安全保障」は、ヒューマンライツ(人権)とたいへん密接につながっています。私はこれまで憲法学で人権の研究をやってきましたので、その関連性はよく理解できます。
人間の安全保障の要素『人間開発報告書』では、人権と関わる要素として以下を列挙しています。

「経済の安全保障」…生産的仕事からの基本的収入と最終的手段としてのセーフティネットのことですね。

「食糧の安全保障」…基本的な食糧への、すべての人の物理的・経済的なアクセス権を意味しています。

「健康の安全保障」…医療機関へのアクセス可能性ですね。先進国においてすらこれが脅かされている最たる例は、医療保険がなく高額の治療費によって人々が破産に追い込まれているアメリカでしょう。社会保障制度が整っていないために、大きな怪我や病気をしてしまったときに莫大な借金をしなくてはならない。民間の医療保険に加入できる人しか、健康が担保されていないわけです。低所得者向けの制度もありますが、カバーできる範囲に限界があるのですね。TPP に参加して医療が自由化され、日本の医療を民営化しようという話になった場合、日本も第二のアメリカのようになる危険性もあるのです。

「環境の安全保障」…水不足、塩害、砂漠化、大気汚染、原発事故、地震、津波、竜巻、洪水などから免れることです。1994年には既に、これらの言葉が国連の文書の中に出ていたのですね。ところが20年経たないうちに、各地でこうした災害が起こっている。予言的とも取れる内容だったわけです。

「身体の安全保障」…暴力や紛争、薬物乱用から免れることを意味します。日本でも若年層にまで薬物乱用が及んでいるように、先進国においてもこれが損なわれつつあるのが現状です。

「地域社会の安全保障」…文化的アイデンティティと価値観の形成を提供する地域社会の安全のことです。しかしながら今、グローバリゼーションの名のもとに世界中が単一の金融制度の中で動いており、すべてを一つの価値観、お金に換算するという方向へ向かっているという気がしています。安倍政権になって為替レートが20%も変わってきていますが、すると輸入財が2割ほど高騰する。一方、日本からの輸出では、かなりのメリットが出るわけです。その影響が、各地の貿易相手国にすぐさま及ぶことになるわけです。もちろん、それぞれの地域では過去から培われ、守られてきた固有の価値があるはずですけれども、近年ではそれらがかなり阻害されてきていると感じています。すべてがグローバライズされたとき、経済の問題だけではなく自己のアイデンティティも失われてしまい、文化的人間としての社会が維持できないのではないかと懸念されます。

「政治的安全保障」…特に軍や警察による政治的人権への抑圧、及び政府による思想や情報の統制から免れることです。捜査令状がなければ逮捕されない、三審制のもとで裁判を受けられる、といった権利ですね。

これらは相互に関連しあい、オーバーラップしていると言えます。こうした文脈において今日、人間の安全保障の3つ目の定義として「尊厳を持って生きる自由」が認識されてきています。「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」だけであれば、「動物としての人間の安全保障」といえます。人間の場合はそれに加えて、尊厳を持って生きるからこそ人間なのです。

まさに「人間の安全保障」の中では、これこそが最も重要ですが、94 年の時点ではまださほど定着していませんでした。この「尊厳」と文化的アイデンティティは密接に関わっています。今、日本人のアイデンティティの喪失が起きていると思います。そもそも真正のアイデンティティのあった社会というものが存在した時期がかつてあったのかとの基本的な疑問もあります。

しかし、今ほど多くの人々が、荒野に投げ出されたような状態でアイデンティティを確立しなければならない状況に置かれている社会は、日本歴史上初めてなのではないでしょうか。封建社会であれば、その固有のルールの中でアイデンティファイされていくわけですが、今の日本人は完全な放任の中にいて、いろいろな価値観に右往左往して生きているように思います。こうした意味でも日本人の安全保障は現在、大きく失われてきているのではないかと。

従って「人間の安全保障」とは、単に食糧不足やエネルギー不足、領土問題で他国が侵攻してきたときにどうするかという問題のみならず、もっと掘り下げた精神的価値にまで至るような非常に奥の深い、横断的・学際的なテーマでもあるのです。人間の安全保障に関しては他にも様々な概念が出てくるかもしれませんが、人間の安全を脅かす事象は、ほぼすべてがこれらに帰結していくことができるでしょう。

ただ、あまりに概念を広げすぎるのにも問題があります。環境権など新しい人権が唱えられるようになってきましたが、憲法学者の間では「人権のインフレーション」という考え方があります。憲法13条の幸福追求権、個人の尊厳のような人権は、人権の中では一番重要だとされています。ここから解釈していくことによって、自己決定権やプライバシーの権利、あるいは環境権などが出てくるわけです。25 条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利とも重なりますが、国家は、憲法の中心的価値であった国民の人格権、幸福追求の権利を保障しなくてはならないというところから憲法の人権論はスタートしています。

すると解釈学でいろんな人権が出てくるわけですが、それがインフレーション化して価値がなくなるのではないかとの懸念があるのですね。何でも「自由」だとなると、それが人権ではなくなって「自由」と単なる「放任」の区別がつかなくなる。「言った者勝ち」になる、インフレーションとはそういう意味です。極端に言うと「人権のバブル化」。「何でも私の自由じゃないか」と言って、果たしてそれが人権なのか?では、敢えて憲法という最高法規においてそれを謳う意味はどこにあるのか。

自分の自由を拡大していけば当然、他者の自由とぶつかるわけです。それを調整する原理を探究することも憲法学の役割ですね。ですから、「これも「人間の安全保障」」「あれも「人間の安全保障」」と言いだすと、人権のインフレーションと同じことが起きて、その言葉自体が陳腐化して何の意味もなさなくなるという逆効果が起こってくることでしょう。

それを避けるために、「人間の安全保障」の概念、意味合いに通底する中心的なコンセプトとは何かを捉えることが重要になってきます。法律論では「リーガル・マインド」と言いますが、言った者勝ちの解釈ではなくて、それを人権として規定して皆で守ろうとする真意はどこにあるのかを、深いところから感じとらなくてはならない。そうでなければ何でもかんでも「人権だ」と言いだす輩が出てくる、恐ろしいことになってしまいます。

人間の安全保障の理念と日本

日本では、大平内閣の時代に既に「総合安全保障」という概念があり、その中には国家安全保障である「国防」だけではなく、人間のコミュニティの安寧を脅かす様々な事象に対して、国家は横断的に対応しなくてはならないとの発想がありました。そして1997 年の小渕内閣のときに、通貨危機に苦しむアジア諸国への救済策のフレームとして、日本がコミットし寄附金も拠出して、国連の中に「人間安全保障基金」が創設されました。外務省においても、2007 年には日本政府の基本方針として「人間の安全保障とは人間の生存・生活・尊厳に対する広範かつ深刻な脅威から人々を守り、人々の豊かな可能性を実現するために、人間中心の視点を重視する取り組みを統合し強化しようとする考え方である」と掲げています。

ですから日本でも、この概念はごく最近になって出てきたものではないのです。

人権の補完機能と人間の安全保障
①人権全般の包括的必要条件としての人間の安全保障


「人間の安全保障」の第一の意味としては、人権の包括的・通底的要素としての機能です。憲法13 条の個人の尊厳から始まって21 条の表現・結社の自由、22 条の職業・営業、居住・移転の自由、23 条の学問の自由、26 条の教育を受ける権利、27 条の勤労の権利、29 条の財産権などの人権に通底する考え方が「人間の安全保障」です。つまり最低限度の生活の基盤を失ってしまうことは「人権侵害」であり、一般的な概念として「人間の安全保障」が損なわれたことになるわけです。

例えば今回の原発事故で福島の土地を追われた方々は、そこで営んでいた職を失い、経済的基盤を失った。これはまさに人権侵害であるにも関わらず、あまり声高に訴えられていないのが不思議なくらいです。「東電は国家ではない」と言われますが、国家の類似機能を果たしているわけです。アメリカの憲法解釈学では、「独占的に電気を送るような大きな団体・企業は、国家と類似する立場にある」「それが人々の基本的な権利を脅かす場合には、人権侵害にあたる」との考え方があり、通説になっています。日本に当てはめれば、東電がこうした事故を起こし人権を侵害してしまった事実は、国家に類似する組織が、22 条に保障される人々の職業選択の自由や営業の権利、居住の自由を阻害していることになります。本来は憲法裁判が起きてもおかしくありません。

危機的な状況に置かれた人々が、人間の安全保障が阻害されたということをもって裁判に訴え出ることができれば、それは人権を補完しうると言える。私は人間の安全保障を、横串を通せるような概念として活用すべきだと提唱しているところです。

②人権の調整機能としての人間の安全保障

逆に「人権」という言葉は様々な意味合いで使われてきて、使い古されてきたので、ニュアンスが誤解されて捉えられることもあります。そこで、誰もが大事だと思っている「人間の安全」を基礎にしたらどうかとの議論があります。それは「人権の調整機能」です。人間の安全が質的に下降していく状態に陥った場合には、その侵害からの救済を、他の権利に対して優越性を持たせるということが、解釈準則として提案できるでしょう。

③予防原則の活用

人間の安全保障においては、予防原則が非常に重要となってきます。「環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす仮説上の恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、規制措置を可能にする制度や考え方」です。原発事故が今後また日本のあちこちで起こるようなことにならないためにも、予防原則を活用しなくてはなりません。アメリカの先駆的な州やヨーロッパではかなり定着していますが、日本ではまだほとんど浸透していない、先進国の中で非常に遅れていると感じます。科学的証明がなされるのは50年先か100年先か分からない、その間に汚染され尽くす、人間の体が蝕まれ尽くすということがあるかもしれません。人間の安全保障を援用し、予防原則によってそうした問題を未然に防ぐ枠組みが、特に先進国において必要であると私どもは提唱しています。

人間の安全保障と国家安全保障

ところで、「国家安全保障」にかなり傾かれた方と話をすると、人間の安全保障は他国の主権を侵害する危険性をはらむかどうかという議論になる場合があります。「人間の安全保障とは、アナーキズムではないか」と言う人もいるのですね。つまり国連がこの概念を援用することによって、多国籍軍による爆撃が行われているのだ、といった誤解をしているわけです。しかし国連によれば正式に「人間の安全保障」を根拠とする武力行使は否定されています。人間の安全保障は、国家安全保障だけでは解決できない問題をオーバーラップ的に保障していこうという取り組みの一つなのです。

例えば自然災害や、BSE やサーズ、新型インフルエンザなどの感染症は、国境を越えてやってきます。ですから、一国だけで制度を作って対処するのは到底無理です。鎖国したとしても、渡り鳥が渡ってきて菌を置いていくかもしれない。グローバル化の進展に伴い、人、モノ、情報、資金が国境を越え往来する状況の中、感染症の蔓延、農作物の安全性、環境悪化、テロ、通貨の暴落、世界恐慌など様々な国家の間で連関して起きてくる事象があるわけです。その影響をこうむるのはそれぞれのエリアに住む人々であり、食糧が手に入らない、エネルギーが買えなくなり凍死に至るなど、まさに人間の安全を脅かす事態になる。ですから国家安全保障と人間の安全保障とは、国の枠を越えて、かつ相互補完的に取り組まなければなりません。各国政府のみならずNGO、民間団体が主体となって、相互協力によって対処することが必要なのです。

人間の安全保障は、国家安全保障という「伝統的安全保障」に対して、「非伝統的安全保9障」と言われています。これは「人間の安全保障」におけるまた別の側面で、一国だけの安寧ではなく、それを守ろうとして多くの国々と関わり、共同歩調で安全を担保しなくてはならないという概念なのですね。人びとの安全のために、国境を越えるこれら多元的分野の問題への取り組みを補完する機能が、人間の安全保障なのです。従って、どこかのセクターが主たる責任を追うのではなく、すべての個々の人間が意識して行動し、政策構築を行うのが人間の安全保障なのです。人間の360 度オールラウンドの分野がテーマになっているわけですから、その主体は多岐にわたり、国家の行う防衛のように、「あてがわれる」ものではないのです。自然災害や世界恐慌など様々な脅威が迫っている今、縦割りのタコ壺社会を脱し「横串を通す」ことが「待ったなし」の課題と言えるでしょう。

ヒューメイン・シティー

私が『〈人間の安全保障〉の諸政策』の10章で書かせて頂いたのは、新技術に基づく「ヒューメイン・シティー」です。「ヒューメイン」というのは「人間らしい」との意味で、先ほどの「尊厳を持って生きる」人間の権利とも通じています。技術だけ持って周りから疎外され孤立した生き方ではなく、他の人たちとつながっていると感じられ、かつ自分の尊厳が維持されていると感じられるのが、まさにコミュニティなのですね。それをどうやって作りだすか、あるいは取り戻すかということだと思います。便利な生活に慣れた我々が江戸時代に戻るというのでは、多くの人の賛同は得られないでしょうから、新しい技術を活用してコミュニティ形成のための一助となすべきではないかと。

グローバリズム経済発展モデルは、97 年のアジア通貨危機や近年のサブプライム・リーマンショックにおいて露呈したように、国家と人々に物質的豊かさを与えることにも成功していないじゃないか、と思っています。これからの生存モデルは、とくにエネルギー、食糧生産、環境に係る新しい技術を活用し、従来の国際金融資本や大国の草刈り場的な経済支配を脱することがポイントとなるでしょう。これらは経済の環境の持続可能性(Sustainability)を保障し、地域コミュニティの自立可能性への貢献につなげようという構想です。

私はここ7 年来、「人間を中心とする街づくり」の構想に取り組んできました。これは、21 世紀の理念といえるコンセプトだと思うのですね。環境変動の可能性を織り込んだあらゆる意味での災害に強い街づくりが要請されるのみならず、自然災害や国際紛争などの有事が長引いたとしても平常時の機能を維持できる、最小限のエネルギーと食糧の独立性の確保をこの目標としたいと考えています。

日本の豊富なエネルギー・資源の活用

今日、日本が基本的に輸入に頼っている化石燃料資源は、国際価格が高騰し、紛争によってや国際政治の道具ともされて輸入困難となる問題が懸念されています。日本のエネルギー自給率は4%だと言われますが、これは先進国の中で際立って低い数字です。エネルギー安全保障の観点から、可及的速やかに自然エネルギーによるベスト・ミックスの方向へ舵取りをしていかなくてはならないでしょう。

日本は四方が山に囲まれていて、四季折々の変化があります。「変化」はエネルギーを生み出すわけですね。ただし、日本では石炭火力発電で41%という世界最高水準の発電効率を誇っています。発生する二酸化炭素の回収やNOx、SOx の除去技術も進んでいるため、それらも合わせて活用していくことも望ましいでしょう。自然エネルギーと廃エネルギーの活用太陽光発電が注目されていますが、日本の場合は国土が狭く、多湿な気候に加えて曇天、降雨、降雷などの気象条件から変換効率が悪く不利と言わざるをえない。

そこで最近、日本近海でのメタンハイドレートなどの開発に期待が集まっています。化石エネルギーではあるものの、輸入に頼らなくても済むわけですね。技術的な課題もありますが、それらを解決して10年ほどの間に実用化が可能となればエネルギーの自給が飛躍的に拡大すると言えます。さらに、日本は火山国ですから地熱発電にも大きな可能性がありますし、新しいタイプの水力発電、あるいはマグネシウムを利用して発生させた水素ガスにも期待が集まっています。

これらをすべて活用すれば、海外にも売れるほどのエネルギーに満ちた社会へと変わり得るとも思っています。アイスランドでは、水力発電が72%で地熱発電が28%。「小さい国だからできるのだ」との声もありますが、地熱発電に利用されているのは日本製の装置なのに、本家・本元の日本ではまだまだ進んでいないのですね。

また、私が特に注目しているのは海流発電です。海流とは1 年を通して一定方向へと流れています。日本の至るところの海流にプロペラを回転させる発電装置を設置すれば、莫大な電気エネルギーを産出することが理論上可能です。しかし、河川は国土交通省の管轄で、小さい川だと県の管理。灌漑施設は農業組合や治水組合といったように、行政が縦割りになっていて不便です。もし国がテコ入れして開発を進めれば、日本近海の海流には原発どころか石油も要らないほどの賦存エネルギーがあるとされています。現状をどう動かしていくか、どこから乗り出していくかということですね。

今、IHI と東大のグループがNEDO の補助金を使い海流発電の実験に乗り出しています。ここでは、垂直に伸びた大型のブイにプロペラを取り付け、ブイを降ろして浮かしておくのですね。船の錨を降ろしたような状態です。海流は一定方向に流れていますが、このブイは360度回転するわけです。今後いっそう発電効率のいいプロペラの開発にしのぎを削っていくことになるかと思いますが、とにかく日本の黒潮は莫大なエネルギーを秘めているので、すぐにでも海流発電に着手したほうがいい。北半球で同じような条件の場所は、アメリカ・フロリダ沖のメキシコ湾流くらいのものでしょう。

天然資源・都市鉱山の活用

それから、日本近海にはレアメタルが多く含まれる海底熱水鉱床が多いのですね。鉱床11から抽出するためのコストがまだまだ高いのですが、日本は世界第4 位の海水堆積、第6位の海水面積を有し、この海底には金、銀、銅、鉛、亜鉛、ガリウム、テルルなどが豊富に含まれています。また、日本には都市鉱山と言われる資源の宝庫があります。金の天然含有量が6000 トンで世界一の南アフリカに対し、現在、日本国内の電化製品や自動車などに含まれる金の総量は6800トン。銀は、天然含有量5万トンの世界一のポーランドに対し、日本には6 万トンあるのです。これらをうまく活用し、またリサイクルの低コスト化さえ実現すれば、こんな素晴らしい国はないわけですね。

新エネルギー技術

筑波大学で行われている、藻類から重油を作る研究は、光合成で炭化水素をつくる「ボトリオコッカス」という緑藻に着目したものです。日本の現在の休耕田をすべて使えば、日本が輸入している石油分のエネルギーをすべて賄えるとの試算が出ているのですね。さらに、産油効率が従来の10倍見込める藻類株も発見されているといいます。ただ、二酸化炭素もその分10倍吸収するので、通常の大気中ではできません。そこで、例えばプラントを火力発電所や工場などに隣接させるか、パイプラインで二酸化炭素を引き込み連結すれば、単位当たり10倍の重油を生み出すことができるわけです。変換効率の悪い太陽光発電に比べ、太陽光を太陽炉で集光して汽力発電やスターリングエンジンの熱源として利用する太陽熱発電は、蓄熱により24時間の発電ができるうえ、導入費用が安いので、今後注目されるでしょう。

エネルギー効率化技術

最近は、地中熱の実用化も進んでいます。これまでの地中熱利用技術では、重機を持ってきて100 メートルほど掘削する必要がありましたが、浅部地中熱利用空気循環型・省エネ装置(ジオパワー)では、5メートルから10メートルほどでいいのですね。地中のこの深さは、1年を通して温度が一定であることが知られています。夏場は外気温が35度から40度になる一方、地中は10度ほどを保っている。冬は、外気温が0度になる一方、やはり地中は、下がっても7~8度なのですね。すると、空気中からパイプを通して地中で温めることで暖房の効率が上がり、逆に夏は地中で空気を冷やすことができます。

こうした技術が既に確立しているので、補助金をつけて全国的に広げるべきだと思っています。この装置を導入すれば、基本的にエアコンは要らない。暖房も、北海道を除けばほとんど必要なくなりますね。さらに、断熱ペイント技術の開発も注目に値します。これは、宇宙船が大気中に突入するときに、摩擦熱で先端部が燃えてしまうのを防ぐための技術を転用した高断熱性の塗料です。これを皿に吹きかけて、下から火をあてても、皿はまったく熱くならない。熱をほぼ完全にシャットアウトしてしまうわけです。特殊セラミックとアクリルシリコン樹脂で作られているので無害なうえ、珪藻土のようにタバコなどの臭気を吸収する役割も果たしてくれます。各家庭のエネルギー使用量を無理せず抑え、快適な住環境を作ってくれると期待されているのですね。

食糧技術

食糧生産の分野でも、新たな技術革新によって環境汚染の危機を乗り越えなければならないとの動きが始まっています。不耕起農法や微生物利用農法などの肥料削減型高効率農法の研究や、植物工場の普及など、世界の食糧安全保障に貢献できる先進技術が進んでいます。植物工場の技術をより進めれば、シベリアでもサハラ砂漠でも、基本的に光と水さえあれば食糧を生産できる。日本には海水を真水化して水を作りだす技術もあります。

これらの技術を組み合わせて、ヒューメイン・シティーを作っていく一助としていただけたらと思います。自然エネルギーや効・省エネルギーそして食糧生産の新技術への明確な方向転換は、従来の石油メジャーや穀物メジャーの支配を脱し、人間の安全保障と国家安全保障への貢献につながるというのが、私からの提言です。

補足1:

私どもは、経済の安全保障の面からも様々な提言を行っています。現在の日本の国債の発行残高は、700 兆円を超えています。ギリシャなどを見ると国債を外国勢に買われていて、ヘッジファンドの人間が売り浴びせたりしたために、暴落してああいう目に遭っているんですね。人々の仕事もなくなって通貨もガタガタになり、まさに人間の安寧が損なわれている状況があるのです。

日本もそうした危機に陥るのではないかとの声があがっていますが、一方で「日本の国債は9 割以上を日本人が持っているのだから、そんなことはない」という意見との両方があります。早稲田大学の田村正勝先生は、国債を無利子にする代わりに相続税・贈与税を無税として繰り延べさせれば、日本の富裕層がもっと国債を購入するという「100 年国債」を提唱されています。100 年間で償還することにすれば、年間の元金は7 兆円だけ用意して返せばいい。利子がつかないので、まず外国人は買わないでしょう。そうすれば日本の国債を、ある意味で安全圏に持って行くことができると思います。

補足2:

人間の安全保障は本当にあらゆる分野にわたっています。筑波の中央農業総合研究所の横山先生は、「メイド・バイ・ジャパンが世界の食を救う」という著書を出されています。日本は世界的に見ても非常に恵まれた国で、一立方センチメートルあたり何十億という土壌細菌が存在し、これはフランスの倍にあたります。不耕起農法は日本には非常に適しており、化学肥料に頼らない農業をやれる可能性があるわけですね。手を加えていない、豊かな腐葉土は、病害虫に対して非常に強い耐性を持っていて、それらをはねのける力がある。草を刈ってしまうなど、ヘタに手を加えるとかえってその力をそぐといいます。

しかし、これはかなりリスキーで実験的だということで農家の方々はやりたがらない。しかし、映画「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんはそれに挑戦されたわけです。非常においしいリンゴができるのですが、ただ実が小ぶりになる。青森の一般的なリンゴ農家では、売上のうち、化学肥料と農薬、それを散布する手間暇などのコストが7 割。1 億円の売上に対して7000 万円です。一方、不耕起農法で栽培すればそれらが要らないわけですが、収穫率は約半分になるので売上は5000 万円、コストはせいぜい1000 万円。手元に残るのはそれぞれ3000 万円と4000 万円ですね。どちらを取るか?

横山先生は、日本のこの豊かな土壌には微生物の多様性があることによって、病害虫にやられない性質を持っていて、これをうまく活用すれば日本のこれからの農業は大きく変わるのだと言っています。土壌細菌の存在が分かってきたからこそ、その働きが評価されてきたという意味では、不耕起農法も今日の最新科学に裏打ちされた新技術といえるでしょう。

補足3:

また、微生物に表層土壌の放射性物質を軽減する働きがあるという議論も出ています。広島や長崎では原爆を投下されながら、数年後にはもう放射性物質が検出されていなかったというのは微生物と関係があるのではないかと。一方、チェルノブイリは永久凍土で冬は凍ってしまうので微生物などいない。事故直後と今を比べても、放射性物質の数値はあまり変わっていません。

ウクライナのある小学校では、485 人の小学校の生徒のうち正規の体育の授業に出られるのはたった15 人というのですね。幼少期からジストニア、高血圧、関節痛などの症状を訴える子どもが多い。子どもたちの被災後17年間を見ると、内分泌系疾患で11 倍、消化器系疾患や筋骨格系疾患は5 倍、循環器系疾患は3.75 倍に増えているといいます。空気中からだけではなく、放射性物質はやはり慢性的に食物からも入ってくる。 日本は微生物の多様性があるため、そこまでの心配はしなくてもいいという。微生物に恵まれていて、非常にすばらしい国土を持っているということを認識させられます。

私はこの10年ほど、電磁波の研究も行っています。我々日本人は、一部の民間団体の活動を除いて電磁波問題への認識が非常に乏しい。予防原則についてお話しましたが、ヨーロッパやカナダでは今の段階でまさに予防原則に則った措置を政府が進めていて、例えば高周波を発する無線LANは制限されています。各種の電磁波にさらされることで、電磁波過敏症になるケース増加が疑われているんですね。

また低周波の磁界が変動すると体内に電流が発生し、体中が帯電した状態になります。英国ウォリック大学のハイランド教授は、「携帯電話から出るマイクロ波が記憶力減退、血圧変化、集中力欠如などの諸症状を引き起こすおそれがある」と指摘しています。さらに電磁波はDNA の損傷や酸化、カルシウム代謝へ影響を及ぼすとも説かれており、妊娠中に携帯電話を定期的に使用した女性には行動障害の子どもが生まれる可能性が高くなるとの調査結果も発表されています。

各国ではこうした研究・方向の例が増えていますが、日本でも、慎重な規制が実施される必要があると思います。このように放射能や電磁波などに対する対策も、人間の安全保障に含まれます。従来からの安全が徐々に蝕まれていっている状況は見過ごされがちですが、これは今、「人間の安全保障」の一つの盲点になっていると思っています。東京電力や通信会社を最大のスポンサーとする大手のマスコミからは、こうした情報を入手するのが難しいこともその要因となっていると言えるでしょう。

(この記録は、事務局が作成し、岩浅氏に加筆・修正いただいたものです。)

Posted by 山本泰弘 at 00:00│Comments(0)
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